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卒業桜

 赤門の正面で、3月上旬〜半ばにかけて満開を迎える卒業桜。

 この桜の原木は、日高川町立川辺西小学校にあります。

 矢田尋常高等小学校時代の昭和13年に児童らが卒業記念に植樹した「卒業桜」は、長年卒業シーズンを彩っていました。しかし、高齢で衰弱が著しくなったため、平成3年、県農林水産総合技術センター林業試験場(上富田町生馬)にクローン苗の育成を依頼。林業試験場では、12年かけてクローン苗を育成し、苗木に育てました。それを知った矢萩喜孝元校長(平成13年/2001年4月〜平成17年/2005年3月)が、川辺西小学校や林業試験場に赴き、「卒業式を満開の桜で祝いたい」という想いのもと、分けていただいたものです。平成15年秋、複式学級全員が全校児童を代表し植樹祭を執り行いました。

 当時の安宅警備員も水やりなどの世話をし、皆で大切に育ててきたものです。

 一緒に育ったきょうだいたちは、附属特別支援学校、県立向陽高等学校、泉南郡の多奈川小学校にも寄付されました。

 川辺西小学校でも平成15年の卒業生が記念植樹し、現在も2月の終わりには開花し始め、地元の新聞の記事になるなど、地域の人々に親しまれています。

 森林総合研究所 勝木俊雄氏=2018年クマノザクラを発見=に同定を依頼したところ、オオシマザクラ(大島桜)とカンヒザクラ(寒緋桜)の交配種だそうです。(同定 2020.5)

根上がり松

 運動場の真ん中に陣取る「根上がり松」の種名はクロマツ(常緑針葉高木)です。日本中に分布し、海岸や丘陵地に多い樹木です。

かつて、岡山周辺(虎伏山から堀止付近)は和歌山湾の海浜に添って形成された砂丘のひとつで「岡山砂丘」と呼ばれていました。その海岸林としてクロマツ林だったものが、豊臣秀吉が(弟の秀長に命じて)和歌山城を築き、城下町として整備されていくうちに姿を変えていきます。そして残されたクロマツの根元の砂が風雨によって流され、まるで根が持ち上がったような姿になったのが「根上がり松」です。

その後、「根上り松」として生き残った8本が1958年4月1日 和歌山県指定文化財(天然記念物)に指定されます。資料によると、内5本が今の附属小学校敷地内に、3本がお隣の県立博物館・美術館敷地内に存在していました。

しかし、次々にマツクイムシ被害などにより枯死していきます。1996年12月、小学校砂場北側にあった「根上り松」がマツクイムシ被害により枯死し伐採され、現存するのは運動場に位置する1本のみとなりました。この「根上り松」の根上りの高さは3.5m、根回りは8mもあり、樹齢は400年~500年と言われています。

最後の1本となった「根上り松」を守るため、保全事業(定期検診、防虫薬剤散布、保全工事)が樹木医さんを中心に行われています。これら事業に年間約60万円~100万円が必要です。事業費は和歌山県・和歌山大学・紀学同窓会・附属小学校同窓会・附属中学校同窓会から拠出されています。みんなで大切に守り続けているのです。

ハゴロモノキ(ヤマモガシ科)

 修景緑地にそびえ立つ大きな木。5月頃から独特な形の花を咲かせます。

 オーストラリア原産の常緑樹。下を向いて広げた枝葉が「天女が纏う羽衣」に似ていることから、日本でこの名前がつけられたといわれています。

 明治末期、苗木で導入された10本のうちの1本として、この木は和歌山県にやって来ましたが、はじめて花を咲かせたのは昭和62年6月でした。昭和63年の開花は新聞紙上でも紹介されました。それ以来、数年に1度思い出したようにヘアブラシのような黄色い花を咲かせていましたが、ここ数年は毎年開花しています。

 同時期に輸入されたものは九州大学農学部と静岡県の果樹研究所カンキツ研究興津拠点にもあります。興津拠点の樹は平成5年6月の初開花以来、毎年開花しているそうです。

 開花の様子が観察できる樹は、ほかにもあります。枚方市の大阪府営山田池公園の樹は、花博終了後に移植されたもので、見事な開花の様子がネットで紹介されています。三保の松原/羽衣の松や、熱海の庭園・起雲閣、西宮市の北山緑化植物園、兵庫県の淡路ファームパークなどでも観察できます。

 オーストラリアでは、鉢植えの観葉植物として一般的で、国によっては街路樹や木材として利用されるため、アフリカなどでは植林されているようです。

 昭和60年の教育学部の移転時には伐採されそうになったところ、当時の職員の尽力でこの地に残されたという逸話があります。